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2.232018
「死」を意識することは、より良い「生」を生きるということ。
ここ2か月の間に伯母や親戚が亡くなり、また寒さが厳しい時期は亡くなる方が増え、いやがおうでも「死」を意識させられる。
「死」を自分ごととしてとらえるのは、自分や家族が重い病にかかったとき。
または余命宣告をされたとき。
これが一番深く受け止めるパターンだと思う。
2か月前に近しくしていた伯母が亡くなったとき、その亡くなるまでの様子を見て、遺骨となった伯母を見て、身をもって「死」というものを見せられたように思う。
「死」に至るまでは本当にいろいろな状況があり、多くの判断を迫られることもあり、本人もさることながら、家族はかなりの心理的葛藤もある。
しかし、「死」を迎えた瞬間に、そのすべては終わる。
そして家族は深い悲しみとともに別の心理的葛藤が始まる(場合もある)。
しかし、亡くなる側は、「死」を迎えた瞬間にこの世でのすべてが終わる。
伯母を見ていて、本当にあっけないと感じた。
近しい人の死の訪れを感じたり、見たりすることは、自分の命や自分の大切な人の命を振り返ることに直結する。
そういうために、「死」を見せられるのだと思う。
私にとって「死」自体は怖いことではなく、「好きな人たちに会えなくなる」ということのみに想像を絶する怖さがある。
だから、伝えたい気持ちがあるなら今のうちに残しておこう。
一緒に少しでも多くの時を過ごそう。
やりたいことがあるなら、挑戦しよう。
「●●すれば良かった」という後悔をひとつでも減らそう。
私にとって「死」を意識することは悲しくなるときもあるけれども、より良い「生」を生きるということ。
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