自分だけがよければいいという終活ではなく。
女優の川島なお美さんが亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
「1年という余命宣告を受けていたこと」
「抗がん剤治療を受けずに、最後まで女優として生きた」
「夫へのサプライズバースデーパーティーについて
亡くなる前日までメールなどをしていた」
ということを報道で知り、迷っている時間も
なかったであろう川島さんなりに、残された時間の中で
本当に一所懸命、“自分らしく生きる”
という選択をされたんだと思いました。
早すぎるのかどうかを決めるのはご本人で
潔ささえ、私は感じました。
ご主人である鎧塚さんも言うに言われぬことが
たくさんあっただろうということは、察するにあまり
ありますが、川島さんの決断を尊重し
最後まで支えた姿には、本当に心打たれました。
どの病気であっても、その本人がどんな治療法を
選択するかに決まりはなく、本人が納得する
治療法であることが第一前提だと私は思います。
そうであって初めて病気と向き合うことができると…。
しかし、そこには同時に家族の思いや考えもあります。
なので、病気に立ち向かうには双方の話し合いと
意見のすり合わせがとても重要だと思うのです。
病気と闘う側とそれをサポートする側。
私の想像の域ではありますが、きっとこの
ご夫婦は何度も何度も厳しい、苦しい話し合いを重ねて
こられたのだろうと思います。
そして、残された時間をどのように生きるかという
川島さんの希望を、鎧塚さんも苦渋の選択だったと
思いますが、全力でサポートするということを
二人で決められたのだろうと…。
今回の一連の報道を通して、このご夫婦は
「終活」を意識せずとも、ご夫婦で見事に
終活をなさったんだなと思います。
重ねてご冥福をお祈りいたします。
「終活とは人生の終焉を考えることを通じて、自分をみつめ、
今をよりよく自分らしく生きる活動のこと」
(一般社団法人 終活カウンセラー協会の定義)
編集者・ライター・終活カウンセラー
エンディングノートの書き方セミナー講師
櫻木よしこ
◆お知らせ◆
私が所属する鹿児島市の終活カウンセラーの団体
50+(フィフティプラス)は
毎月第3火曜日に終活ワークショップ
petit shu (プティ シュー)
を開催しています。
次回は10月20日(火)の開催で、
3回シリーズとしてエンディングノート作成に
取り組みます!
ちょっと興味がある方はお気軽にどうぞ!
思い込みというフィルターが知らずしらずのうちにかかっていませんか?
ここのところ毎朝、ウォーキングを続けています。
午前6時半ぐらいに川べりをずっと歩くと、自転車で
さっと通り過ぎる高校生や、犬の散歩をする人たち、
健康増進のために毎朝、歩いている人…
川べりを歩く人たちの目的はそれぞれです。
そんな中、必ず、誰かとすれ違うわけですが、
すれ違いざまに、「おはようございます」と
いうひとことを口にするかどうか…
微妙な間合いがあります。
私個人としては、基本的には「おはようございます」と
声に出して、軽く会釈し挨拶するほうです。
まあ、無視されても、あいさつを返されなくても
いいやと思い、正面から歩いている人たちと
すれ違うときは、思い切ってあいさつを続ける
毎日を送っています。
気持ちよく挨拶を返してくる率が高いのは年配のご婦人、
ついで、年配の男性です。
あいさつを返されないと、多少なりとも凹みます。
ここのところ、挨拶しても毎回無視する年配男性が
いました。
いつも川のほうを眺めながら歩く方で、
私が「おはようございます」といっても
見向きもしない。
「あ~あ、年配の人は今時の若いもんはなっとらん」
とか、よく言うけど、なっとらんのはどっちだよ!と
ひとり若干ムカついておりました。
そして、今朝、またそのおじさんと遭遇。
ムカつく心を抑えて、「おはようございます」と
挨拶すると、すれ違った後に、そのおじさんが立ち
どまり、「あいさつをしてくれてたんだね~」と。
そのおじさんは、耳がかなり遠くて、私の声が
聞こえていなかったということがわかりました。
私は自分の思い込みだけで、ムカついていた
わけですが、おじさんは、単に聞こえてなかった
わけで。
「ごめんね~。耳が遠くてね」とあやまるおじさんに
いえいえ、私も勝手にムカついててごめんなさいと
心の中で謝りました。
よくよく状況判断せずに、こちらの思い込みで
相手を悪者にしてしまうことはありがちです。
これは、私にとっての“気づけよサイン”だと思い、
人付き合いをする上で、改めて心しないといけない
ことだと反省することしきりの朝でした。
編集者・ライター・終活カウンセラー
エンディングノートの書き方セミナー講師
櫻木よしこ
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たかが箸使い、されど箸使い。問答無用に正すべし!と今は思う
お箸の持ち方は正しいほうが断然いいと
大人になった今、思います。
誰かと食事をともにする時に、おかしな箸使いを
している人がいると、すぐ目につきます。
それは私の中の違和感レーダ―にひっかかって
きますから…。
かくいう私も小さい頃、正しい箸使いができませんでした。
握り箸というほどではなかったのですが、
正しい持ち方を見ると、そのほうが
使いにくそうに思えたのです。
「お箸を使って食べられるのなら、どんな持ち方
でもいいじゃない!」と公言してはばからない
小生意気なガキでした。
そんな私の前に猛然と立ちはだかったのが、
大正生まれの祖母でした!
小公女セーラに出てくるミンチン先生か
はたまた、赤毛のアンに出てくるマリラか…
う~ん、ミンチン先生ほど意地の悪さはなく、
かといってマリラほどのわかりやすい
やさしさはなかったような気がします。
教師をしていた祖母が良妻賢母となるべく
孫を躾けたいという思いは、幼稚園生の
頃からひしひしと感じていました。
それは箸使いだけに限らずです。
食事時、おかしな箸使いをしていようものなら、
いつも手をぺしっと叩かれていました。
つまり、毎回ということです。
叩かれたら、こちらも意地になって
絶対正しい持ち方なんてしない!と
さらに祖母との箸使いをめぐる
闘いはヒートアップし、
挙げ句の果てには、手を叩かれるだけではなく、
手をつままれる始末。
祖母に屈しない孫のことが
きっと憎らしかったに違いありません。
この祖母は県外に住む孫たちの
箸使いを心配して、そのために上京する
こともありました。
孫可愛さに会いにいくというのが普通ですが、
孫の箸使いを正しにいくという、なんとも
偏った祖母でした。
しかし、これは孫たちが大きくなって恥を
かかないようにという祖母の一種の愛だった
のだと今は思えます。
その後、私は、大人になるにつれ、いつの間にか
正しい箸の持ち方ができるようになっていました。
いつそうなったのかは、自分でも覚えていません。
自分が持ちやすい持ち方で、ひとりで食事をするのは
構わない。
しかし、第三者と食事をするとき、箸使いがおかしいと
それに気づく人は多く、そのことがバックグラウンドまで
想像されてしまうことになりかねないのです。
つまり、親からちゃんと躾けられていないのね…といった。
私は箸使いに関しては、祖母によってこれを回避
できたわけです。
天国の祖母へ、今また感謝です。
生きているときは、なかなか感謝できないことのほうが
多かったけれども…。
今では、小さい頃どんな間違った箸使いをしていたのか
思い出せません。
正しい持ち方がなじんでいるからなのでしょう。
お箸の正しい使い方は、これが一番機能的だということで
その使い方に定まったのではないかと思うのです。
何が正しいかどうかなんてわからない子供は
ある意味動物と同じで、有無を言わせず躾けられる
ことも必要なのだと、自分を顧みて、しみじみ思うのです。
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